進化バトン

あらの様から届いておりましたバトン(2006-06-05)。とりあえず暫定版(リンク等修正するかも)。要は長くなりすぎてもうこれ以上書きたくないってことさ。見直してないから誤字とかきっとあるよ。このヴァージョンが読めるのは今だけ! を売り文句に逃れようと思う。
未だどのように書けばどのようになるのかよくわからないので、そもそもこれでトラックバックは送れるのかなどの問題が山積であり、鳴動すると崩壊の恐れもあるので山には立ち入らぬようくれぐれも(何の話をしているのか)。
長いので畳みます。長くなくったって畳みますので、長いというのはカモフラージュされた言い訳であるが、わざわざそんなことばらさなくてもいいよ。
やや修正

※ ルール ※

気に入らない質問を3つ削除して、新しい質問を3つ加えてください。

進化バトン(○世代目)の○のところをカウントアップしてください。

えーと、73代目の進化バトン。

  • 今のBGMは?

最初に書き始めた時点ではmike oldfield。グランドピアーノゥとかスッパニッシュギタァアンドイントロドュースィングアッコースティクッギターァッとか言ってるやつ(わかりやすい映画の話を避けるという姿勢)。そん次がFzのベイビィ・スネイクス(略すことによりキーワードに引っ掛からないようにという気づかい)。
その後、先月出たtoolの新譜とかも。うぉい全部ロックじゃねぇか。
今朝方になってCageのプリペア(以下略)も聴いてました。夜明けには結構あってると思うのだが夏ぽくはない。もっと涼しい時に聴きたい。

  • 読みかけの本は?

ドン・デリーロ アンダーワールド ルナアル にんじん(フランス語の発音にはとんと疎いのだが、ルナールで検索して出てこないのであせった) ミハイル・バフチン 小説の言葉 室生犀星 蜜のあわれ われはうたえどもやぶれかぶれ マルセル・プルースト 失われた時を求めて(1)
その後 犀星とにんじんは読み終わってスミヤキストQの冒険を掘り出してきました
さらにその後アンダーワールドも読み終わりました。長かった。

  • 創作好きですか

する側にいるか受け手にあるかで多少意味合いは違うけれどもおおむね嫌いではない程度に好き。でも自分で書いたものは公開する気がない。もしかするとネット上のどこかには死体置き場があるのかもしれないが(というのは以前サイト的サムスィングを作成しようと試みたときに新しく何か書かず以前書いたもので代用しようと安易に色々行なったから)、我関せずで行こうと思う(削除のためにログインするパスワードがわからないなんてそんなまさか)。

  • 子供の頃大切にしていた宝物は

ゴジラ。四歳下の弟にぶっ壊されたことが、メガテンSFCつまり真のほう)においてカオスを選ぶ理由になっていると思う。かたちあるものはすべて壊れいのちあるものみな死にゆく。壊れた後もどかーんどかーんって遊んでいたのでそれほど悲しくはなかったのだろうし壊れても大切だったのかもしれない。引越しのときに棄てるか棄てないかでそれなりにモメ、結局捨てずに東北の一都市から東京まで持って行ってみたものの使われることなく、その次の引越しで棄てたのだと思う。ゴジラというか怪獣的なものは今でも好きです。映画は見ませんが。特撮には興味ないのだよね。

戦後三大奇書ということで埴谷雄高「死霊」福永武彦「死の島」梅崎春生「狂い凧」というのはどうだろう。左から順に奇書っぽくなくなっていきます。語りだしたら止まらないので抑え気味に行こうとは思いますが読み飛ばし(あるいは飛ばし読み)推奨。
「死霊」は文庫版三巻あたりの物語が壊れているあたりなんかがすごい(もとから物語なんてネーヨとか言う奴は桜桃忌を前にして玉川上水へ飛び込むことを真剣に考えたら良いよ)。最初のほうとのギャップとかもう奇書としか言いようがない。途中で作者が病気で死に掛けて四章と五章の間に二十年くらい断絶があるんだよね(追記、調べました。1946年1月号から49年11月号にかけて第四章まで、第五章は75年に発表されているから25年ほどの中絶ですね)。前半のほうが哲学小説していて面白い(あるいはわかりやすいとか飲み込みやすいとか話しに入っていきやすいとか)のだけど、後半の壊れかたは凄い。
「死の島」はそれと比べりゃかなりまとも(こればっかりは比較するほうがおかしい)。ただしラストを除けば。あんなラスト思いついても実際にやらねぇよ。と思うけどおそらく先例もあるだろうし後追いの作でも誰かやってるでしょう(寡聞にして知らぬ、とか言ってみる)。最大の問題はそれが破綻せずに行なわれていることで、例えば新幹線で乗り合わせた女が一体何を意味していてラストに関わってくるのか、とかいくらでも論じられるし、答えを出す方法もありそうな気がする(そもそも実際にいたのか、とかね)。と考えていること自体がすでに発狂していると思うので奇書。ちなみに「死の島」というのは、絵画のタイトル(一種の作中作か)。あと検索するとネタバレされますので御注意。気になるひとは引きこもってないで古本屋探し回るか図書館へ走ってください。
「狂い凧」は一見普通の小説。どのくらい普通かといえば「幻化」くらいには普通(「幻化」もそれほど知名度がないのがネック)。なんだ普通じゃん、と思うひとはちょっと「仮象」とか読んでみて欲しい(全集以外で読めるんですか?←読めます新潮文庫の『幻化』とかで←絶版の上、自分で買った一冊以外売ってるとこも見たことないですが)。あぁ、もう何がほんとうかわからない(というか後期作品は作者の心配をしたくなるよね、というのが友人間で話していて出たことがある。まんまと作者の術中にはまっていると言えなくもない)。梅崎の読みすぎで壊れている俺からすればこの作品を奇書と呼ぶのは、ごく当たり前で仕方のないことだ(仕方のないことだ、って言われてもね。読んだひとでも付いて来れないような思い入れを語るのはやめませんか)。
これらの作品において注目すべきは「語り」。もちょっと丁寧に言うと「物語は誰によって語られるのか」。「ドグラ・マグラ」も相当そのへんの仕掛けが複雑ですよね(もっぺん読みかえさねぇとなぁと思いながら結局五年とか経ったわけですけど)。「死霊」後半でのあの語り(引き込まれるんだか読者そっちのけなんだかわかったもんじゃない)は特に七章だったかがもの凄い。しかし「死霊」は小説として見れば普通に小説しているともいえる(登場人物が変なだけだ、と言い切ってしまえば)。しかし「死の島」はもっと語りに対して意識的で(これはマチネ・ポエティックの方々はみんなそうなのかもね)、もう全部すっ飛ばしてエピローグだけ読んでしまってそれから本文を読み始めたほうがいいくらい(そもそもエピローグだけ読んでもわからないので危険。あとネタバレを推奨するようなことを言うな)。それに対して、フィクションをさも日常の事柄のように(そもそも日常の事柄のようなフィクションなのだが)私という一人称で語るスタイルを踏襲しながらも、作者・扱っているテーマ及びモティーフ・登場人物が融合したのか溶解しているのか意図的なんだか偶然なんだか読んでいるうちにどうでもよくなる「狂い凧」は、日常に埋もれた鎮魂の詩であり、戦争がリアリティを失っている今忘れられる存在となっているのは不思議じゃないことでもある。って、え、そんなまとめですか。まぁだって誰も読まないから説明するだけ野暮っぽいんですもの。
以下
戦前なら百輭の『冥途』は一冊丸々はずせない/稲垣足穂「一千一秒物語」とか奇書扱いしていいものか/『遠野物語』『山の人生』は創作であるなら充分奇書/短篇ならいくらでもあるよね。夢十夜とか河童歯車から機械ひかりごけ鬼剥げ
などなどなどなど百行前後削除。

  • 日本文学史上最大の萌えキャラは

言葉は生きているもので、まだ新しい言葉である「萌え」が何を意味しているのか考えるに最も近い既存の言葉は「かわいい」なのではないか。「かわいい」が多様化して、馬鹿でもチョンでもグロかろうがキモかろうが何でも「カワイイ」と言われてしまうようになって、男性側のしかもおたく層が「かわいい」ものを他の言葉で語ろうとするのは一種必然で、だって「かわいい」ものはかわいければいいのでキモかわいいとかグロかわいいとかそういったニュアンスは不必要だから(相変わらずぶっ壊れた文章を書きますね←意図的だよハゲ←ハゲに失礼←毛の薄いお方?)。ここまで前置き。
栄えある第一位は、安部公房「密会」の溶骨症の娘かな。朔太郎の「死なない蛸」も多少ベクトル違いの気もするがかなり萌えるかと思う(でもかわいくはないことに気付いた。すると前置きは無意味か)。

  • せず嫌い(ex.食わず嫌い 読まず嫌い 等)だったけどやってみたら案外良かったというものを好きなだけ語ったらいいよ。でも語らないなんてのは許さない(せず嫌いしない人間からしたら迷惑な話だ)。

ドミトリィ・ショスタコーヴィチ(1906-1975 ロシアの作曲家)
現代音楽なんかからさかのぼってクラシックを聴こうという人間がジョン・ケージクセナキスから入って某作家の影響でバルトークラヴェルを聴きザッパの影響でストラヴィンスキーを聴いてケージからはサティにさかのぼってみたり某作家の影響でロッシーニなんて聴いちゃったりして古いところはとりあえずバッハとベートーヴェンと聴いておくとして、というふうなルートをたどっているとして、何故か知らんが(わからんが、のほうが正しいのかも)ショスタコヴィチは「こけおどし」とか「政治性が取りざたされるけど曲はヘボい」とかさんざんな言われようで名前は知りつつ敬遠していたわけですよ。これが聴いてみたら良いのね。五番の第四楽章とか思わず笑いが(キモい)。自分の耳以外は信用しちゃいけねぇってことだなぁとしみじみ思った(なぜそこでしみじみするのか)。偏見に満ち溢れた世界を今日もたゆたっております。

  • 何か引用してください。思い入れを語ることも許可します。出典はヒント程度でも示したほうが好ましいでしょう。ひとつでもふたつでもいいけどみっつまでで。

最近読んだものから。

ポリュデウケスは、自分の永遠の息吹きで兄弟の命が甦るかもしれないと考え、傷口に唇を押し当てた。ところがしばらくしてカストールが自分からすっかり引き離されてしまったことを認めると、自分も死んでしまおうと決意した。兄弟に対する大きな愛情のゆえに、自分が不死身であることも忘れ、彼は自分の胸に、その切先が背中に突き抜けるほど深く、剣を突き立てた。そして野原を駆けた、苦痛の呻きではなく、人間の悲惨届かぬ愛ゆえの呻きをあげながら。ひとしずくの血も失うことのない彼の心臓には、自分を貫いているこの剣がいったいなんなのか、まったく理解できなかった。

ジュール・シュペルヴィエル「カストールとポリュデウケス」(『海の上の少女』所収)

  • ところで以上の質問にマジメに答えていますか。嘘が混じってはいませんか。

元来秘密主義で極力言わずとも良い事は言うまいと考えている以上饒舌であったら少なからず嘘である。という文章も嘘だとしたらクレタ人ぽいですか。違いますか。