マイケル・ギルモア「心臓を貫かれて」

最初のあたりは、とにかく暗示的というかものをはっきり言わないというか書きあぐねてでもいるような雰囲気がある。自分ら兄弟の話はいつになったら始まるん? と疑問に思わずにいられない(このへんの我慢のなさが現代っ子)。かと思えば、上巻後半はかなり奈津川家サーガ(某三島賞作家作)である。暴君的父親、狂乱的母親、多少マトモな長男、歩く狂気の次男、反発しながらもそれに近い三男、年の離れた局外者である語り手四男。次男が長じて後に起こした殺人事件の、背景を少しでも明るみに出そうという試み、とでもしようか。四兄弟の祖父母の代から(いや、もっと前から)連綿と話は流れる。多少ぎこちない説明口調ではあるが、事実のはずが妙に文学していたりして面白い。なにしろ母と次男しか知らない謎などがあるのだからすごい。ふたりともその秘密は語らず墓まで持って行ったというわけである。モルモン教の血腥い色々な逸話やら、ありとあらゆる不幸の前にあらわれる暗示的な出来事、そして幽霊。
核心の事件は、父の死、そして三男の自滅的な死の後に起こされる。作者は淡々と事件のことを書き(普通なら描くを使うのだけど、ほんと淡々と書いているだけ、という感じなのだ。よそよそしいとか感情がないとかいうのとはまた違うのだけど)、そして次男の死刑のことを書く。その後も、終わりを見失ったかのように色々なことが語られ、知りたくもないような事実が明かされたり、と、まぁ、著者の半生記としても盛り沢山の内容である。
結局、ものごとを霊や何か超自然的なもののせいとしようがDVのせいにしようが先天的なもののせいにしようがあるいは土地環境のせいにしようがどうだっていいのである。ある意味ではありがちでさえあるこれらの状況と出来事がこのように語られるというのは(ノンフィクション嫌いの俺が読まないせいではあるけど)ちょっと新鮮だし面白いと思った。結局のところは楽しんだ者勝ちである(個人的基本姿勢)。
ところで訳者あとがきを読んで多少感心した。作者について書かれた他の人物の文章をさりげなく持ってくるあたり、巧いな、と。最後まで読んで本文から作り上げた作者像とは、全く違う人物がそこにはいるわけ。そこまでの本文が一気にメタテクスト化してしまう、という訳者のネタなんじゃねーのか? とかそういうことを考える俺は病んでいると思います。そもそも村上春樹そういう作家じゃねぇべ。