七回中二回というところか。

数日前話題にした、id記法で云々というやつの出現率が他に比べて高いような気がする、という一種の妄想を抱いてみた。どうだって良いのだ、と言えばその通りなことでも拾い上げてネタにするほどネタがないのだ、と捉えてもらって構いません。どうせ人生は思い込みで出来ています。思い込みこそが事実です。途中から話題が変わっていますがbefore&afterクイズではありません。というか、だとしたら難しすぎやしないか。というかで思い出しましたが、というかネタがないわけでは別にないんだよな本は読んでいるし面白い本も結構あったと思うしあと音楽ネタもいくつか書こうと思ったことはあるわけですよね、つまりないのは何なんだろう、時間? やる気?
のように、読者に疑問を投げかける文章というのは、受け手に(強制的に)考えさせる手法であるのですが、問題はここに使われた「?」は疑問文の末尾に置かれる疑問符というよりはむしろ、修辞上のマークに過ぎないので、つまり簡単に言ってしまえばこれは書いた本人の自問を表している記号としての「?」であって、ところでクエスティオンって書いてクエッションと読ませるとは一体どういう了見なのか(しかも今気付いたけどワード様――というかIME様と言うべきかもしれないが――はクエスチョンと書かないと英語に変換してくれないぜ)とラテン語の方言のくせに世界一メジャーな言語に対して苦言を呈したいところであるが、ところで何の話でしたっけね?
とここで使われている「?」もほぼ同じく自問の意であり、なかなか受け手に向けての問いかけを発することが出来ない僕は馬鹿ですか?
もしかしてこれは永遠に続きますか?
いや、俺が書くのをやめたら終わりだからどう考えたって永遠には続かないのだけど、それはそれとしてラテン語の方言は多種多様の進化を遂げているにもかかわらず、いやむしろだからこそと言うべきだろうが、かつての先進諸国のほとんどで話されていた関係上その支配していた植民地などでも公用語となったわけで、“ラテン語の方言”として見れば世界のかなり広い地域で“ラテン語の方言”が話されているか、あるいはいたのだし、別にその中で“ラテン語の方言”のうちひとつがメジャーであっても何の疑問もないだろう。と素人考えには思えるわけだが、識者ではないのでデタラメである。信用してはいけないが、兎角この世は思い込みで成り立っているので別に信用しても俺に責任を擦り付けない限りどうでもいいことであると言える。
だんだん飽きてきたな。このような手すさびを――余談であるが「てすさび」は「手遊び」と書くのですよ――読まされる側も大変である。いや、読むかどうかは受け手の気持ひとつにかかっているのでそれほど可哀相でもない。どっちだよ。このように、書いてあることがだんだんと投げ遣りになっていくことに読み手が気付かざるを得ないというのは悲しいことである。書き手である俺からしても不本意なことである。では一体どうすれば良いというのか?
さぁまた元のパターンです。オチを考えずに書き出すとこうなるから始末におえない。なんせそりゃもう文章が続く限り延々とこのパターンに戻ってくることは可能なのだ。じゃあ結論はオチを考えてから書き出せということでよろしいですか? ってそんなまとめかたは求めていないのだが。などとこういったことをいくら書いたところで実際には投稿してエントリにすることなどまずないのだからもうまるっきり時間も無駄だしもっと本を読んだり何かしら書いたりすれば良いと思うのだが全然そんなことに時間は使わずこのような繰り言ばかり展開しては時間が無い時間が無いと嘆いているのだから自業自得因果応報ぬるま湯に冷酒隣の柿はよく客喰う餓鬼だということでつまりはこれは化け物に関する怪談話だったんだよ!