ガブリエル・ガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』

読了後に、コレラ時代の愛であることに気付く。コレラ? 話と何か関係ありましたっけ?
訳される前は面白い面白いとの意見ばかり独り歩きしていたコレラだが、訳されてみるとそんな褒めちぎるほどのものでは……的感想が多いように思う。面白い、とは言えると思うのだが、ガルシア=マルケス特有のスピード感に欠けているような気がするんだなぁ。イザベル・アジャンデの作品です!と言われたらあっさり信じてしまいそう(ろくに読んでないからか)。
恋愛小説である。しかも見事なまでに恋と愛が別々に分かれている(まぁ、ように思えたってだけですけど)。それによる(あるいは他のものにもよるかもしれない)非現実感と、筆力(と文体、なのかなぁ)によるリアリティとの微妙なバランス。19世紀末から20世紀にかけて半世紀以上の年月を、延々恋だの愛だのって飽きそうなものですが飽きさせないのはさすが。面白いとか面白くないとか以前にまずそこに感心する。あまり期待せず、内容も一切調べたりしないで読んだほうが楽しめそう。
なので、ネタバレをしようというつもりはないのだけども以下の文章は既読状態で読み進むことをオススメ(畳むのは面倒なのでやめた。つまり畳んであったら俺なら読まないよな、と思うので)。というか、書いてみて読み返して気付いたんだけど、未読の状態で読んでも意味がわからないよ多分。
意図的にそう描かれているのか俺が勝手に読み取ったのかはわからないが、例えばフェルミーナ・ダーサとフロレンティーノ・アリーサの関係に対して、フェルミーナ・ダーサとフベナル・ウルビーノ博士の関係であったり、あるいはフロレンティーノ・アリーサとアメリカ・ビクーニャの関係であったり、というあたり(別に何か他のものでいいのだけど便宜的に)恋と愛のような差異を感じるんだよね。後ふたつの関係がかなり似ているように思えるのは俺の眼が歪んでいるからとしても。そうするとタイトルの意味するところが変わってくるのかなぁ、と思ったり思わなかったり(まぁスペイン語できないからわかりませんけどね!)。あるいは精神的な愛と実際的な愛と性愛的な愛と、というふうにしたほうが全部愛になってタイトルとは関連付けやすいかな。フェルミーナ・ダーサとその父親の関係と、フロレンティーノ・アリーサとその母親の関係なんかにしてもまったくカタチの違う親子愛の対照を際立たせるために配置されたような感じだしねぇ。
まぁ考えを推し進めないで言うだけ言って終わりなんですけど。
まぁ結局のところ面白いかどうかなんてどうでもいいんだよね多分(突然話が変わっている)。読めないということがストレスなわけだから。ガルシア=マルケス全小説が刊行されている間くらいは版を切らさないでおいてもらえればいいねぇ、と思いました(別にもう一冊買う予定があるわけではない)。