エラリー・クイーン 国名シリーズ後半戦

前半は四年ほど前に読んだのだがもったいぶったエラリーとさえない父上のコンビに嫌気がさして捨てていたのを見つけ出してくる。

『アメリカ銃の謎』

ロデオショーの真っ最中二万の観客を前に主役が射殺、容疑者を逃さぬようコロシアム閉鎖、しかし凶器となった小口径の銃が見つからない、という話。
ひとことで言うと、アンフェアな印象。伏線がない、というより、張りかたがおかしいのでそんなふうに思えるのだろうか。エラリー自身言っている通り「奇跡」以外の何でもない状況を、無意味にも作ってしまうその無神経さが気に喰わない。おまけにそのおかげでさっぱり犯人がわからないとくる。しかも探偵も殺人が起きた途端「犯人がわかってる」などと言い出す割には全然話が進まない恐るべき冗長さ。推理も解決もかなりさえない。
個人的に前半の作品群ではひねりも何もないフランスが結構好きなのだが(ローマオランダギリシアエジプトに囲まれていてまったく目立たないから)、それと並んで話題になることが少ないのもうなずける。

『シャム双子の謎』

珍しく何度も推理を披露して何度も間違えるストーリー。そのうえ挑戦状もない。代作なのかこれ?
山火事に遭遇したクイーン親子が、山道を逃げに逃げてたどり着いた異様な雰囲気の館。炎が迫り来る中、殺人が起きる。果たして犯人は誰か、山火事から逃れる方法はあるのか、館でおこなわれていた怪しげな実験とは、犯人の魔の手がやがてクイーン警視にも襲い掛かる!
みたいな。クイーンの作品は、一番怪しい奴が犯人で、考えすぎると確実に外れる、というのをエラリー自身が地で行っている、なんか逆に面白い作品。たまに視点がブレるのが気になってしょうがない。あとやっぱり冗長。クローズドサークルものとしては、いつ山火事が来てもおかしくない、という状況はとても面白いように思うのだが、どうしたって山火事が来るのに殺人なんてのは場違いな感がいなめない(それにどうせ最後まで山火事が来ないのはわかっているわけだし)。

『チャイナ橙の謎』

悪名高い中国オレンジ。……これ、日本人でわかるやついるの?
誰一人以前に被害者と会ったものはいなかった、にもかかわらず、殺された、そもそもこの男は誰なのか。そしてなぜ、被害者は服を前後逆に着せ替えられ、背中からは槍を突っ込まれ、本棚の本は天地を逆さまにされ、本棚はずらされてしまったのか。
まぁ下宿の裏の溝に本を投げ込んだ挙句、翌朝熱まで出した気持ちもわからないではない。
これはでも、異世界ファンタジーでのミステリではあるね、こういう別世界的な習慣を元にしたトリックって。わかるわけねぇ、っつーやつ。小説自体が面白ければ許せるが……。

『スペイン岬の謎』

誘拐された男女、相手の目的は男を殺すことらしいが、誘拐されたのはその目的とは別の男。しかし数時間後、誘拐が発覚するよりも前に、結局本来の目的である男は死体となって発見される。
このへんでそろそろ、エラリーが自信満々に断言していることはミスリードのためにそうなっているので、眉に唾を付けてかからなければいけないことに気付きはじめる。証拠はすべて今まで読んできた文章の中にある、などと言いながらそんなことではとてもフェアプレイとは言えないが、やっぱり一番あやしいやつが犯人なのでそのへんはしょうがない。岬の館の人間はみんな隠し事をしているので、それがわかってくる後半になるまで誰もまともなことを喋らず、まったく面白くないのが困ったところで、寝物語代わりに枕元に置いていたら、下手すると一生かかっても読み終わらない。

まとめ的雑感

キャラクタの細部に対するこだわりが薄いというか、まぁミステリだからリアリティはそんなにいらないんだけども(だいたい人を殺した後で平然と他のやつらと一緒に何だかんだできるような強靭な精神力を有するようなやつならエラリーごとき秒殺だろう)、行動に一貫性がないとか言っていることがおかしいとか、せめてそのへんをなんとかしていただきたいところ。ミステリだとそのへんは勘繰れちゃうわけだし。つーか連続して読むと強烈に思うんだが、本によって老クイーン性格変わりすぎだろ! もともと有能だが解けない事件もある、普通の人間だが息子の推理力のおかげで有能、ただの無能者、と幅広い性格を見せてくれます。日によって性格変わるとかボケ老人か。
あと読んでいて思ったのは、エラリーはあんまり問題を出さない探偵なのね。例えば事件現場を調べていても、自分で勝手に納得して(調べるべきものは調べたよ、さぁ行きましょう、のノリ)終わってしまう。読んでる人間は描写を読まされるだけなので(しかもそのうちで解決に役立つものなんてごくわずかなのだから、ほとんどは無駄な知識なわけだ)、基本暇である。探偵、というか作家にもよるけども、そういう暇な場面において、「この部屋には、本来あるはずのないものがあります」とか、一文入れるだけで読むときの心構えというものが変わってくるし、「僕があの一見何でもないエアコンに着目しているのは、君も見ていてわかっただろう? 何故あのエアコンの上には、埃が溜まっていないんだろうねワトソン」とか言ってくれれば、確かに不可解であることがただちに了解できるというものだが、300ページも進んだ解決篇で「犬にできないことが馬にできないということはないでしょう」なんて言われてもせいぜい軽く殺意をおぼえるくらいなものである(感情的にしゃべっているときには良い例が出せないという好例)。
クイーンに関する記事は、もう少し続きます。