ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』

ほとんどが無駄話で構成されている二十世紀の古典。
ストーリ? そんなもんないよ。1904年6月16日のおはなしです。
導入部である第一部は『若い芸術家の肖像』でおなじみのスティーヴン・ディーダラスが主人公。ひげをそるあたりから始まる。けどスティーヴンは風呂嫌いだから昨年十月からずっと風呂に入ってないらしいぜ。一日の話なのであちこちでいろんなひとと出会うのだけど、同じ日に何度も出会うことはあまりないわけで、でもだからといって登場人物を減らそうという努力をするわけでもないあたりが素敵。まぁこの後フィネガンズなんとかとか書いた変人の作品であることを考慮した上で楽しみましょう。面白いことはとにかく面白いです。
第二部になってやっと主人公うちメインのほうレオポルド・ブルームが登場します。朝の食事を作るところあたりから。内臓大好きなこのおっさん朝からわざわざ肉屋に行って買ってきた肝臓を塊のまま焼いて喰うというなんかもうアイルランド人の食生活ってこんななのかと(たぶん)間違った感慨を抱かせてくれること請け合いです。じゃがいもが何なのかは15挿話くらいまで不明ですが(注意して読んでいればもっと前にわかるのかも)、幸運のお守りです。まぁ俺は事前情報でそれだけ知ってたんですが。
第三部はもう終わりのあたりです。この一二三と分かれているのは一体何の意味があるんだかよくわかりません。いや、一と二はわかるとして、何故三がここからなのかがよくわからない。もう二前か後ならわかるけども(ふたつ前ならちょうどスティーヴンとブルームが会うところだし、後ならモリーの独白ですしね)。というかまぁほとんど大抵のことは読者にはわからないのでどうでもいいですけど。

まずもって何より恐ろしいのは、これだけの長さの作品にもかかわらず中だるみを感じさせないということではあるまいか。全部たわごとと言えばまぁ無駄話のようなものなんだけど、訳されて言葉遊びの部分が失われていてもなお(矛盾した言いかただけど)無駄な文章が一文たりともないような錯覚を起こさせるに充分な緊張感、それもただただ張り詰めているんじゃなくて弛緩した部分も含めての。無駄話の情報量の多さというのもなかなか曲者で、気を抜いているとすぐにわからなくなってしまうのではないかと思わせる。知らんひとたちの無駄話についていくのは大変ということらしい。

単に読書というより、ダブリン日帰りの旅なので、結構疲れる。けど文章は基本的に平易で(深読みを放棄すれば)海外文学とは思えない速さで読み進めることと思います(まぁあの厚い文庫本の四分の一は注だからね)。なにより、これだけ楽しい読書は久しぶりなんじゃないかと思った。大変満足。